ガーンディー、村落共同体、市民社会について少しメモ

http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20091105#1257418016

 ガーンディーの分権化論の紹介を読みました。記事の内容に直接的関連はないのですが、間接的に関連する南アジアの文脈について補足的にメモしておきます。



 分権化論の背景として、オリエンタリストのインド村落共同体像の問題があります。
 「太古以来の」、「外部から独立的な」、自給自足的「小さな共和国」、「村落共和国」という村落共同体像は、植民地官僚が理想化し、植民地体制の法や経済の前提とすることで現実の影響力を持って構築/改変されていったという研究があります。それによれば、そのような「理想化された村落」は、「古代の遺産としての自生的な民主主義観念の証拠」として、逆説的にインドのナショナリストにも採用されたといいます*1

 別の研究ですが、ガーンディーの「独立した村落のネットワーク」という構想もオリエンタリストの「村落共和国」にインスパイアされたものという言及もありますし、独立後のヒンドゥーナショナリストの中にも「伝統的な政治」として分権化された国家を好む人々がいるという言及もあります(しかし、ヒンドゥーナショナリストは多様性を拒絶する点で特異だといいます)*2



 ガーンディーと市民社会については、市民社会の創造者としてのガーンディーという議論もあります。

 国家は重要だが公共善の舞台としてはもろすぎる。
【中略】
ガーンディーの道場で、社会変革に至る道とは、内的自己の変形、ヒューマン・アクターの意志の変形だ。アンタッチャビリティの信条や強奪的な結婚持参金の実践のような不正義の実践を構成する世界観と行動は、法律の弱い手では動揺せず、コミットするアソシエーションでの日常的な説得と正義の制定が動かす。変革は政治的活動以上のものだ。法律とパブリック・ポリシーとパブリック・サンクションを動かす政治的活動ではコーヒーハウスと政治的クラブで十分だ。ガーンディーの変革は社会構造だけでなく主観的なことにも乗り出す社会的活動だ。そんな政治プロセスには、18世紀のコーヒーハウス、パブ、リテラリー・ソサイエティの限定されたラショナリストの他に、運び手が必要だ*3

*1:Thomas R. Metcalf, The New Cambridge History of India III. 4: Ideologies of the Raj, New Delhi, 1998. pp. 69-72.

*2:Christophe Jaffrelot, ''Hindu Nationalism and Democracy'', in Niraja Gopal Jayal, ed. Democracy in India, New Delhi, 2001. p. 517.

*3:Susanne Hoeber Rudolph and Lloyd I. Rudolph, ''The Coffee House and the Ashram: Gandhi, Civil Society and Public Spheres'', in Carolyn M. Elliott, ed. Civil Society and Democracy, New Delhi, 2003. pp. 403-404.