カーストと人種について少しメモ

http://sankei.jp.msn.com/world/asia/100720/asi1007201124002-n1.htm

インドの婚姻については持参財殺人や「名誉」殺人など、深刻な問題がありますが、この記事について気になるコメントを見たので、久しぶりに更新します。

遺伝子解析のデータではインドのバラモンと下層カーストは「人種が別」らしい。古来からカースト差別が守られ続けた結果ほとんど混血しなかった証左。バラモンミトコンドリアDNAはヨーロッパ人種に近いそうです。

http://b.hatena.ne.jp/NATSU2007/20100721#bookmark-23372993

 ナツさんが紹介された、「バラモンと下層カーストは「人種が別」」といった話は、インドの人文・社会科学の文脈では、植民地主義の知の虚構として批判されてきたものと似ています。「バラモン」が「ヨーロッパ人種に近い」など典型的です。

 近代における人種概念と結びついた社会ダーウィニズムの害悪は有名でしょう。インド史上の人種問題の語られ方について、最近の概説書から拾ってみましょう。

 19世紀の人種理論家たちは、カーストの議論を「生物学的に決定された人種の本質」についての理論の中に組み込みました。*1 進んだ「肌の白いアーリヤ人」(インド・ヨーロッパ語族)と劣った「肌の黒い非アーリヤ人」の人種間闘争の結果、カーストが発達したといった見方は、高位カーストの間に「「純粋な」アーリヤ人の血」といった「誤ったプライド」を持たせたと批判されています。*2

 この人種理論は派生物を生みます。「バラモンは侵入者であるアーリヤ人の子孫だ」とし、「下のカーストこそ元からの住民であり、国土の正当な相続者だ」とする議論は19世紀以来あるそうです。これは、反バラモン運動に受けつがれていきます。また、20世紀になると、これを換骨奪胎したヒンドゥーナショナリズムの主張として、アーリヤ人こそ元からの住民である。つまり、上のカーストでなく、イスラム教徒やキリスト教徒こそが侵入者であるというものも出てきました。二つとも歴史学の主流から支持されていないそうです。現代の論議では、先住の文化に取って代わる形で大規模なアーリヤ人の侵入が起こったという考古学的形跡はほぼないと言います。*3 インドの歴史の中で、人種概念は政治的に利用されてきました。アーリヤ人と人種について、ターパルは以下の如く結語します。

生物学に基礎を置くという初期の主張にもかかわらず、人種とは本質的に社会的構築物である。最近の遺伝子研究はその主張をより弱めている。だから、「アーリヤ人」というより、「インド・アーリヤ語を喋った人たち」と言うのがより正確だ(これを略したものとして「アーリヤ人」を使うことはできるだろう)。これが、人種でなく言語集団を指すことは大切だ。言語集団は様々な人たちを含むことができる。 *4

私が参照しているものは2003年のペーパーバックですが、ハードカバーは2002年に出版されたそうです。ターパルの概説は、2000年代初めに出たものですが、ナツさんの提供される情報とは逆を向いています。

また、このような「科学的」人種と正統性を結びつける議論は、「混血」の忌避と親和的です。社会人類学者のベイリーは、「純粋なクシャトリヤの子孫」と主張する「カースト」を実例として、1988年になってもそのような「伝統の創造」があったと言います。*5

 さて、現代の遺伝子解析はより科学的なのでしょうが、「限定されたサークル内のみで挙行される婚姻の観察」、「肌の色の光と影、鼻と顎の形といったシンボリズム」に依拠し、「身体的型の差異が世界で一番顕著で持続している」と記したという植民地官僚*6 が思い出されたので記事を書きました。

 素人としては、地理的にヨーロッパ程度には広大で、数千年の歴史を持つインドについて語るだけの方法論的強さをその解析が持っているのか疑問です。内婚は独立後も広く強く残るカースト規制ですが、その強さは古来からの歴史の実態なのか、歴史的に新しく創られた「慣習」なのかは問題です。記事中に出てくるジャートについては、植民地時代に入るまで非ジャート女性と婚姻する習慣で知られており、内婚が強化されるのは19世紀以降と言います。*7 婚姻についてのヒンドゥー法典は紀元前数百年前からあるようですが、古代史家の山崎元一によると、「現実には異ヴァルナの女性との結婚も見られ」たと言い、「バラモンに関係するものを簡潔に記すならば、クシャトリヤ女性、ヴァイシャ女性との結婚は次善の手段として承認され、シュードラ女性との結婚は否定ないし消極的に承認されている。」と言われてもいます。*8 二つとも女性でなく男性の話であり、女性に対する差別の側面がより強調されもしますが、カースト制度の歴史的可変性については常に意識しておくべきなのではないだろうかと思います。日々の更新も満足にできない力不足の私が言えることではないですが、必要な範囲で歴史的な前提を調査し、差別の構造を認識し、解体への道程を考案していくのが正道でしょう。

*1: Susan Bayly, The New Cambridge History of India IV. 3: Caste, Society and Politics in India from the Eighteenth Century to the Modern Age, New Delhi, 2000. p.127.

*2:Susan Bayly, The New Cambridge History of India IV. 3: Caste, Society and Politics in India from the Eighteenth Century to the Modern Age, New Delhi, 2000. pp.174-175.

*3:Romila Thapar, The Penguin History of Early India from the Origins to AD 1300, New Delhi, 2003. pp.14-15.

*4:Romila Thapar, The Penguin History of Early India from the Origins to AD 1300, New Delhi, 2003. p.15.

*5:Susan Bayly, The New Cambridge History of India IV. 3: Caste, Society and Politics in India from the Eighteenth Century to the Modern Age, New Delhi, 2000. pp.328-329.

*6:Veema Das, ed., Handbook of Indian Sociology, New Delhi, 2004. p.25.

*7:Susan Bayly, The New Cambridge History of India IV. 3: Caste, Society and Politics in India from the Eighteenth Century to the Modern Age, New Delhi, 2000. pp.53,221-222.

*8:山崎元一『古代インドの王権と宗教』刀水書房、1994年、302ページ。