「カースト」記述さまざま

 最近、「スクールカースト」や「ママカースト」といった新語を目にします。
しかし、これらの造語のもととなった「カースト」という言葉について、深く理解されているとは思えません。はてなキーワードの項目も増補改訂の余地は大きいでしょう(下記参照)。本来、専門の方が編集されるのが最良です。とはいえ、その時がくるまでは、素人の手習いがてら細々と更新する意味も多少はあると思われます。そこで、はてなダイアリー市民となるために日記を更新しながら、できる範囲でまったりゆっくりと資料を蓄積していきたいと思います。

 まずは、手近なところから調べてみます。

はてなキーワードカースト

インドの職能を基にした階級制度。もしくはその中の階級を指す。

この階級は世襲であり、崩されることはない。

法的にはカーストは廃止されたが、現在もなお厳然として存在しており、人権関係の団体組織からは長期的な懸案のひとつと目されている。

最初期には、

* バラモン(僧侶)
* クシャトリヤ(軍人・貴族)
* バイシャ(平民)
* シュードラ(賎民)

の4階級(種姓 ヴァルナ)であったが、時代と共に職能毎にさらに細分化、序列化していった。現代では1000のオーダーに昇るサブ・カースト(ジャーティ)があると言う。

西北インドへの印欧語族の征服にともなって、土着の種族を支配するために設けられた。上位カーストがアーリア系であり、下位カーストシュードラと不可触賤民*1に土着の民族を設定した。

カーストの目的は「社会を維持し、余分な人口を増やさないため」であるとヒンドゥー教の経典(バガヴァット・ギーター)の中で説明されている。社会全体の人数を制限し、その中で必要な職能を必要な数だけ常に確保するための制度であったが、多くの制度がそうであるように、当初の理念を離れて一人歩きし始めたカースト制度は、維持のための維持を行う制度のための制度に成り果てている。中国に続いて爆発的に人口を増やしていることからも、この当初の理念が忘れ去られていることがわかるだろう。

http://blhrri.org/kokusai/un/un_0020.htm

あるカーストに生まれた者は、そのカーストが定める職業以外の職業には、よきにつけあしきにつけ就職できない。

例えば、(何故そんなカーストが存在するのかの理由はさておき)ひったくりのカーストに生まれた者はひったくりでした生計を立てることはできない(出身のカーストを問われ、他職=カーストへの就職が困難)。だからといって、官憲や付近住人からその行為を許されている訳ではなく、他の犯罪者と同様に逮捕されたりリンチされたりする。

結婚は同じカーストか、せいぜい一つ二つ序列の違うカーストとの間でしかできない。(現代ではまだ緩和された方らしい)

また、極端に低いカーストの女性たちはもっと上位のカーストの男性たちから、共同体ぐるみで習慣的にレイプ・虐待を受けており、そのことに反抗できないでいる。女性の人権団体からは非常に問題視されている。

さらには、このカーストの外、人間とは認められない人間も多数存在していることを忘れてはならない。

彼らはバラモン教ヒンドゥー教で言うところの人間ではないので、家畜や野生動物と同等の扱いを受けている。

カースト制度を否定する動きはインドの歴史の中で何度も起こった。

その中でも最も古いのは、紀元前6世紀頃の仏教の勃興である。仏陀ことシャカ族の王子ゴータマ・シッダールタが人は皆平等であると唱え、カースト制度(すでにその頃から破壊不可能なほど堅固で、かつ現代と同じような問題を発生させていた)を否定したが、既得権益者の激しい抵抗にあって頓挫している。インドでは見る影もなく、むしろ日本、東南アジアで受け入れられている現状が何よりそれを物語っている。

インド独立の祖マハトマ・ガンジーもまた、その運動のさなか、インド国民の意思統一を図る目的で、カースト制度の否定を行った。バイシャ、シュードラを革命勢力に取り込めると目論んだのである。けれど、最終的には「戦後」の混乱を見越して既得権益者であるバラモンクシャトリヤへのアピールとして、ガンジーは言を翻していた。政治は奇麗事ではないと言う実例か。

 *1:ハリジャン、アンタッチャブル

出所:http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AB%A1%BC%A5%B9%A5%C8

wikipediaカースト

カースト(caste)、あるいはカースト制、カースト制度は、ヒンドゥー教にまつわる身分制度である。紀元前13世紀頃に、アーリア人のインド支配に伴い、バラモン教の一部として作られた。カースト制度によって定められる個々の身分もカーストという。カースト制度は基本的にはバラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラの4つの身分(ヴァルナ)に分けられているが、その中で更に細かく分類されている。

カーストという単語はもとポルトガル語で「血統」を表す語「カスタ」(casta)である。 そこからインドにおける種々の社会集団の構造を表す言葉になった。インド以外の身分制度カーストの名で紹介されることがある。

カースト間の移動は認められておらず、カーストは親から子へと受け継がれる。結婚も同じカースト内で行われる。

カーストは古い起源を持つ制度である。現在は1950年に制定された憲法で全面禁止が明記されているものの、実際には人種差別的にインド社会に深く根付いている。

カーストが成立した時期には存在しなかった職業などはカーストの影響を受けないと言われる。IT関連産業などは、当然カースト成立時期には存在しなかったので、カーストの影響を受けない。インドでIT関連事業が急速に成長しているのは、カーストを忌避した人々がこの業界に集まってきているからと言われている。

目次


* 1 カースト身分制度
o 1.1 基本的な4つのカースト(ヴァルナ・四姓)
o 1.2 カースト以下の身分
* 2 他宗教からの改宗とカースト
* 3 現代インドとカーストとの軋轢
* 4 関連項目

カースト身分制度

ヒンドゥー教の展開の中で、カーストの重要性が強く指摘される。カーストは一般に基本的な分類が4つあるが、その中には非常に細かい定義があり、結果として非常に多くのカーストが存在している。カーストは身分や職業を規定する。カーストは親から受け継がれるだけであり、生まれたあとにカーストを変えることはできない。ただし、現在の人生の結果によって次の生で高いカーストに上がることができる。現在のカーストは過去の生の結果であるから、受け入れて人生のテーマを生きるべきだとされる。まさにカーストとはヒンドゥー教の根本的世界観である輪廻転生(サンサーラ)と密接に結びついた社会原理といえる。

ヒンドゥー教カーストというものを極めて重視している。他宗教はその現実的な影響力や力によりその扱われる位置が決まる。ジャイナ教シク教ゾロアスター教が裕福層に支持されているのもこのためである。カースト制は5千年以上もの歴史を持ち、何度か取り除かれようとしたものの、ヒンドゥー教カーストの結び付きが強いためインドの社会への影響は未だに強い。

紀元前5世紀の仏教の開祖であるゴータマ・ブッダは、カースト制度に強く反対して一時的に勢力をもつことが出来たが、5世紀以後に勢力を失って行ったため、カースト制度がさらにヒンドゥー教の教義として大きな力をつけて行き、カースト制度は社会的に強い意味を持つようになった。

基本的な4つのカースト(ヴァルナ・四姓)

ブラフミン(サンスクリットブラーフマナ、音写して婆羅門(バラモン))
神聖な職に就いたり、儀式を行うことができる。ブラフマンと同様の力を持つと言われる。「司祭」とも翻訳される。
クシャトリア(クシャトリヤ
王や貴族など武力や政治力を持つ。「王族」「武士」とも翻訳される。
ビアイシャ(ヴァイシャ)
商業や製造業などに就くことができる。「平民」とも翻訳される。
スードラ(シュードラ
一般的に人々の嫌がる職業にのみ就くことが出来る。ブラフミンには影にすら触れることを許されない。「奴隷」とも翻訳されることがある。先住民族であるが、支配されることになった人々である。

カースト以下の身分

カースト以下の人々もおりアチュートという。「不可触賎民(アンタッチャブル)」とも翻訳される。力がなくヒンドゥー教の庇護のもとに生きざるを得ない人々である。にも拘らず1億人もの人々がアチュートとしてインド国内に暮らしている。彼ら自身は、自分たちのことを『ダリット Dalit』と呼ぶ。ダリットとは壊された民(Broken People)という意味で、近年、ダリットの人権を求める動きが顕著となっている。

世界的にカーストの問題が扱われる際には、主に『職業と世系による差別 (Discrimination based on work and descent) 』という表記が用いられる。

2001年に南アフリカのダーバンで開かれた国連反人種主義差別撤廃世界会議 (UNWCAR) においては、主要議題の一つとして扱われたが、最終文書には盛り込まれなかった。しかし2002年の国連人種差別撤廃委員会における会合で一般的勧告29 『世系に基づく差別』が策定され、インドのカースト差別を含む差別が、国際人権法にいわれるところの人種差別の一つであることが明記された。2005年にはソウル大学女性研究所の鄭鎮星教授および中央大学法科大学院の横田洋三教授が、国連人権擁護促進小委員会における『職業と世系に基づく差別』に関する特別報告者に任命され、この差別を撤廃していくための原則と指針の作成が進んでいる。

未だに強い影響力を持つカースト制度であるが、下層カーストカースト外のアチュートであっても何らかの手段で良い職業に就くこともできる。スポンサーや自らの財力で国外に渡り、国外で教育を受け、更に実力を認められた後に帰国し、インド国内でも影響力を持ち続ける人々もおり、インド大統領だったコチェリル・ラーマン・ナラヤナンもその一人である。最近の都市部ではカーストの意識も曖昧になってきており、ヒンドゥー教徒ながらも自分の属するカーストを知らない人すらもいるが、農村部ではカーストの意識が根強く残り、その意識は北インドよりも南インドで強い。

アチュートの人々にヒンドゥー教から抜け出したり、他の宗教に改宗を勧める人々や運動もあるが、動きは弱い。そこには、長い歴史と深い心理的な記憶がある。

他宗教からの改宗とカースト

改宗してヒンドゥー教徒になることは可能であり歓迎される。しかし、そこにはカースト制という問題がある。カーストは親から受け継がれ、カーストを変えることは出来ない。カーストは職業や身分を定める。他の宗教から改宗した場合は最下位のカーストであるスードラにしか入ることができない。生まれ変わりがその基本的な考えとして強くあり、努力により次の生で上のカーストに生まれることが勧められる。

したがって、現在最下位のカーストに属する人々は、何らかの必要性や圧力によりヒンドゥー教に取り込まれた人々の子孫が多い。ヒンドゥー教は複数の宗教の合体したものと呼んでも良く、元の宗教の現実的な力が強かった場合は対等に合体していったが、力が弱かった場合は、下位のカーストに取り込まれたり、異教からの改宗として最下位のカーストに取り込まれた。

インドにおいて仏教は、衰退して行く過程でヒンドゥー教の一部として取り込まれた。仏教の開祖のゴータマ・ブッダヴィシュヌ神の生まれ変わりの一人であるとされるが、彼は「人々を混乱させるためにやって来た」ことになっている。その衰退の過程で、仏教徒ヒンドゥー教の最下位のカーストに取り込まれて行ったと言われる。ヒンドゥーの庇護のもとに生活をすることを避けられなかったためである。

イスラム教の経済力と政治力や武力による発展のなかで、ヒンドゥー教からの改宗者が多かったのは、下位のカーストから抜け出し自由になるのが目的でもあった。

現代インドとカーストとの軋轢

現在でも、保守的な農村地帯であるパンジャブ州では、国会議員選挙に、大地主と、カースト制度廃止運動家が立候補した場合、大地主が勝ってしまうという。現世で大地主に奉仕すれば、来世ではいいカーストに生まれ変われると信じられているからである。このように1950年のインド共和国成立によるカースト全廃後もカーストは生き残っており、それがインドの発展の妨げになっているという声もインド国内にて聞かれる。

特に児童労働問題やストリートチルドレン問題は、インドにおいては解決が早急に求められるまでになっている。なぜなら、児童労働従事者やストリートチルドレンの大半は下級カースト出身者が圧倒的に多い一方、児童労働雇用者は上級カースト出身で、教育のある富裕層が大半である、と報告されるからである。しかも、このように子供を売春や重労働に従事させて、警察からの摘発を受けて逮捕されても、逮捕された雇用者が上級カースト出身者であったがために無罪判決を受けたり、酷い物になると起訴猶予や不起訴といった形で起訴すらもされない、という報告もある。インド国内の刑務所内の受刑者の大半が下級カースト出身者で占められている、という事実からも容易に窺う事はできる。カースト特有の理不尽性が、このような格差を未だに残している。インド政府は近年児童労働の禁止やストリートチルドレンの保護など、抜本的政策を打ち出し実行に移したが、そのいずれもが1990年代後半に入ってからで、インド政府の対応が後手に回っている、という実態を浮き彫りにした。2006年10月に、児童の家事労働従事を禁止していることからも、インド政府の政策が大幅に遅れをとっている事は否定できなくなっている。

ヒンドゥー教徒の結婚は現在も見合い結婚、それも同一カースト内での結婚が大原則となっており、逆に、恋愛結婚・異カースト同士の結婚は増えつつあるとは言え、まだまだ数えるほど少なくごく一部の大都市でしか未だ見る事ができない。5千年以上もの歴史を持つカーストがそう簡単には消滅しない事は、結婚からもわかる。そして、それがダヘーズなどの悪しきヒンドゥー教の慣習を現代に残す要因にもなっている。

確かにカーストは親から受け継がれるだけであり、生まれたあとにカーストは変えられないがために、現在の人生の結果によって次の生で高いカーストに上がらざるをえず、現在のカーストは過去の生の結果であるから、受け入れて人生のテーマを生きる以外に無い、とされる。だがこれは、現代インド、特に南部にて下級カースト出身者の自殺者数の増加要因になっている。教育のある下級カースト出身者が自殺を選ぶ、というジレンマが発生しているわけだが、信教の自由や教育の充実も側面にあるため、インド人の思想の根幹にカーストを置く事ができない、という事実を示唆していると言える。カースト制の影響は、ヒンドゥー教カーストの結び付きが強いためインドの社会の根幹を形成しているが、現代インドではカーストの否定がインド社会の基礎になっている、という(インドのヒンドゥー教徒から見た)矛盾までもが発生している。

大英帝国支配下にあってイギリス人を支配階級に戴くにあたって、欧米諸国の外国人を上級カースト出身者と同等に扱う慣習が生じたが、これはカーストによる差別を憲法で禁止する大きな要因となった。皮肉にも、英領インド時代の搾取の歴史がインドにキリスト教を運び込み、今日のカーストの排除につながっているのである。 カーストの排除で最も「実効性」があるのは「改宗」である。キリスト教イスラム教、仏教への改宗で「アチュート(パーリヤ)」への差別を撤廃しようと努力がなされている。とくに仏教はインドで発祥したがそのことを知らない「アチュート(パーリヤ) 」も多く、差別の撤廃が望まれる。

関連項目

* ジャーティ
* インドの仏教
* ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル (B. R. Ambedkar)
* ヒンドゥー教徒による宗教的迫害

出所:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88

goo辞書「カースト

〔カストとも。(ポルトガル) casta(血統)に由来〕
(1)インド古来の身分・階層であるバルナのこと。
→バルナ
(2)インドの社会集団であるジャーティのこと。
→ジャーティ
(3)転じて、他の地域・社会に見られる、類似した身分階層制度をもいう。

三省堂提供「大辞林 第二版」より

出所:http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A5%AB%A1%BC%A5%B9%A5%C8&kind=jn&mode=0&base=1&row=0

広辞苑』第五版「カースト

ポルトガル語で血統の意のcastaから)インドにみられる社会集団。儀礼的な観点から序列づけられており、各集団間は通婚・食事などに関して厳しい規制があるが、弱まりつつある。2千以上の数があり、多くの場合、世襲的職業をもち相互に分業関係を結ぶ。インドではジャーティ(生まれの意)という。カスト。真政大意「殊に往古印度やエジプトに、カストと申して」
→ヴァルナ

出所:SEIKO IC DICTIONARY SR9100

 定義からして、「階級制度」、「身分制度」、「身分・階層」、「社会集団」、「バルナ」、「ヴァルナ」、「ジャーティ」・・・・・・それぞれ独自の説明をしていることは一目瞭然でしょう。次回はより専門的な辞典の記述を見ていきたいと思います。

(追記)重複アップロードしたようなので、「だ・である」調の方を削除しました。