「犯罪者となることを運命づけられた人々」?―カーストへの偏見と差別の一例

 はてなキーワードカースト」には、カーストの例として、「ひったくりのカースト」が挙げられています。

あるカーストに生まれた者は、そのカーストが定める職業以外の職業には、よきにつけあしきにつけ就職できない。例えば、(何故そんなカーストが存在するのかの理由はさておき)ひったくりのカーストに生まれた者はひったくりでした生計を立てることはできない(出身のカーストを問われ、他職=カーストへの就職が困難)。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%ab%a1%bc%a5%b9%a5%c8

はてなキーワードカースト」(2009年4月4日午後9時アクセス)

 このキーワードには、出典が一つしかありません。
沖浦和光「変貌するインドのカースト制度
http://blhrri.org/kokusai/un/un_0020.htm

 しかし、そこには、キーワードの上掲の記述のように断定する根拠はないようですし、矛盾する箇所さえあります。

1990年代後半に入ると、解放運動のリーダー層に、弁護士・教師・医者・社会福祉カウンセラーなどが増えてきた。
http://blhrri.org/kokusai/un/un_0020.htm

 カーストと職業の関係については、社会的、歴史的文脈にそった記述が望ましいと思われます。キーワードとしての分量の制約はあるでしょうが、その中でも改善の余地はあるでしょう。

 次に、上掲の引用には、もう一つ問題のある記述があります。「ひったくりのカースト」についてです。これは、沖浦氏の文章には一切出てきません。きちんとした出典がなければ、それが正しい記述とは認められないでしょう。
 犯罪とカーストとを直結させる危険性については、イギリスの植民地にされていた時代のことですが、『事典』の中に一つの項目があります。

クリミナル・トライブ|Criminal Tribes

カーストをインド社会を規定する基本的属性とみなした社会観は,ステレオタイプとしてさまざまな差別的かつ否定的集団概念を生み出してきた.
【中略】
〈人はカーストに生まれる〉〈カーストは特定の職業をもつ〉〈カーストに生まれた人はその職業を選択の余地なく継承する〉という前提のもと,インドには〈犯罪を生業とする〉カースト集団が存在し,〈生まれながらの犯罪者〉や〈犯罪者となることを運命づけられた人々〉が存在すると想定されたのである.
【中略】
 こうして1871年に制定されたのが,〈クリミナル・トライブ法〉である.これにより法的概念としての〈クリミナル・トライブ(世襲・職業的犯罪者集団)〉が登場し,同年以降〈犯罪を生業とする〉集団はカーストごとに登録と規制の対象となっていった.この法の制定と運用過程では,司法と行政,あるいは行政内部においても対立があったが,出生からする犯罪者というステレオタイプに変化はなかった.
【中略】
97年の改正法では犯罪傾向の除去のため指定されたカースト集団の子弟を両親より隔離することが可能となり,1911年の改正法では登録・指紋押捺が義務化され,行動と移動の制限が課されていった.1923,24年の新法によって規制は緩和されたものの,最終的に撤廃されたのはインド独立後の1952年のことである.

出所:辛島昇ほか監修『南アジアを知る事典』平凡社、1992年10月、213ページ。

 このような経緯の背景となる部分は省略しましたので、興味を持たれた方は、図書館や書店で本にあたってください。「クリミナル・トライブ」の事例は、カーストを本質論的にみる危うさを示すものです。キーワードの記述は、そのような歴史に配慮した形で書かれるべきだと思います。根拠なく「ひったくりのカースト」という言葉が置かれているのは問題でしょう。