「反近代新伝統主義者」

http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20091012#1255322225
http://d.hatena.ne.jp/sc_skipjack/20091012



 ナンディーの「セキュラリズム」批判は大変ラディカルです。ナンディーが拒否する「セキュラリズム」は、「発展」「ナショナリズム」と同様の「イデオロギー」で、究極的に非妥協的で不寛容とされます。「客観化」「科学化」「官僚的理性」「無モラル」「無感情」のような語が関連付けられます。「近代国家」は多様性を嫌うものとされます(例えば、いつも「イデオロギーとしての宗教」を「信仰としての宗教」より好むとされます)。「セキュラリズム」イデオロギーの基盤は、少数の「エスニシティから離脱したミドルクラスの政治家・官僚・知識人」・「西洋化した知識人」だけとされます。「セキュラリズム」は「国防」「発展」「現代科学」「技術」と同様、「国家と結合した国内植民地主義」を正当化するコア概念とされます*1


 ナンディーの議論は、「近代=西洋/理性/イデオロギー/一/支配」に「自生/生活/信仰/多/被支配」を対置、後者を選択し前者を拒否するものです。一番重要な軸は「セキュラリズム対コミュナリズム」ではありません。彼の議論の特徴として、セキュラリズムは基本的に「大衆」から遊離して浸透に失敗する運命にある一方で、その反動として、コミュナリズムは「大衆」を巻きこんで拡大するという非対称性があります。


 ナンディーの議論についての批判は複数あります。彼のような立ち位置を「反近代新伝統主義者」と呼ぶサルカールについてメモしておきます。以下は、ナンディーの右翼批判について言及した後に続きます。以下原文の注は省いてあります。

逆説的な方法で「セキュラー」であることさえ糾弾され、議論はセキュラー・ラショナリズムを根本的な悪役として糾弾することまで到達する。

 このような議論で通常起こることは、セキュラリズムというタームを同時に狭め広げ、それを大変自由に動くシニフィエとして恣意的に使用することだ。それは一義にも都合良く多義にもなる議論の的となる。セキュラリズムは、(それ自体大変単純化・等質化された)啓蒙とユニークに同一視され、攻撃的な反宗教的懐疑主義、実質的無神論とされる。しかし20世紀のインドでシステマティックな反宗教論争は活発には大変遠く、大変希少で、それは熱心な左翼他の信仰を保持しない人々についてもだ。インドのコンテクストでセキュラーであることとは、第一にそして大変しばしば単に、コミュナルでないか反コミュナルなことで、ガーンディーが問題視しなかったのはそのせいだ*2。「インド・ヴァージョンのセキュラリズムは」、バールガヴァは最近思い出させた、「分離独立の、5十万人以上を殺したヒンドゥームスリムセクト的暴力の結果強固になった」、本当に悲しくなり眩暈がする、このように注意されなければ思い出されなくなったことに。ヨーロッパでさえ、セキュラリズムのルーツは啓蒙から約2百年前にある。宗教改革宗教戦争、もう1つの「コミュナル」暴力の時代の結果、その構成要素が発生した。国家から教会の「セキュラー」な分離を最初に主張したのは、ラショナリスト自由思想家でなく、16世紀の再洗礼派だ。彼らは彼ら自体のキリスト教ブランドを熱心に信仰し、どんな類いの強制的な国家宗教も真正な信仰に反すると信じた。

 反セキュラーな立ち位置は、タームの意味を大幅に拡大することによってのみそのもっともらしさを保持できる。そうすることで、セキュラリズムは「近代国民国家」の多種多様で明白な悪事と犯罪全部の罪責を背負わされる。「ポスト17世紀ヨーロッパが啓蒙の価値の名で解放した新型の人工的暴力...第三帝国強制収容所・2回の世界大戦・核による全滅の脅威」*3。この論理の飛躍は本当に大変驚くべきだ。ヒトラースターリンは疑問なくセキュラーだ。しかし、彼らの犠牲者の大変多数が無神論者(顕著に、両方とも共産主義者)だったことを考慮して、セキュラリズム、それ自体が、ナチやスターリニストのテロの土壌だったのか。信仰を保持しない者が殺人した時、セキュラリズムは毎度責任を背負わなければいけないのか。

出所:Sumit Sarkar, ''The Decline of Subaltern in Subaltern Studies'', in D. Ludden, ed. Reading Subaltern Studies: Critical History, Contested Meaning, and the Globalisation of South Asia, New Delhi, 2002. pp. 413-415. 初出は1997年



 インドのラディカルな反近代的言説について、サルカールの危機感についてメモを追加しておきます。

このコロニアル言説批判への総力的集中砲火の論理的帰結は、そのような西洋的・ラショナリストの汚点から明白に自由なムーヴメントや生活の様相のみが、真正、正しく自生的、プロテスタントレジスタンス、文化のステータスを与えられるということだ。そうなったら、伝統的なマルクス主義左翼のみならず、西洋的言説の要素を選択的流用し、場合によったらコロニアル国家政策さえリソースとして使用し、下位カーストや女性の権利を拡張するために努力したプレーやアンベードカルのような人や他の沢山のムーヴメントもまた、どんな形であっても共感を表に出した研究は難しくなる。
【中略】
再説するが、このフレームワークの中では、ヒンドゥトゥヴァについての批判は、基本的に、ピュアで問題の無い前近代ヒンドゥー世界の西洋か近代による歪曲だ、とする形のみが可能になる。この命題の後半は容認できるが、前半はできない。

 10年前ナンディーはこれらの立ち位置の一番明快な態度表明をした。Intimate Enemy(Nandy 1983)の冒頭の見事に明快な宣言、「近代西洋植民地主義に直面したイノセンスを正当化し擁護するために」だ。この「イノセンス」からは、何百年のカースト抑圧・ジェンダー抑圧・階級抑圧が大変不穏に省略されている。これらのような議論は、同時代インドの社会と歴史の最も基本的な課題の多数を分析する適当な言語がない状況に置き去る恐れがある。

出所:Sumit Sarkar, ''Indian Nationalism and the Politics of Hindutva'', in D. Ludden, ed. Making India Hindu: Religion, Community, and the Politics of Democracy in India, Second Edition, New Delhi, 2007. pp. 292-293. 初版は1996年

*1:Ashis Nandy, ''The Politics of Secularism and the Recovery of Religious Tolerance'', in R. Bhargava, ed. Secularism and its Critics, New Delhi, 1998. 初出は1988年か1990年と推測

*2:skipjack注。ナンディーによれば、ガーンディーは「大反セキュラリスト」

*3:skipjack注。ナンディーの論文から引用